ソースの2度漬けは禁止です

まぁぼちぼちやって行きます

新型肺炎への政府対応に関する相反する意見のどちらも読んで思うこと

☆★☆追記済☆★☆

馬にもう少し丁寧な説明が欲しいと言われましたので部分的に加筆しました!

 

お久しぶりになりました。まきたまきです。

ご無沙汰になってしまってごめんね。新年早々インフル🅰️にかかり、ノロにかかり、馬が怪我をして。と、盛り沢山の1月。相変わらず毎日しにたみを抱えてはいますが生きてますよ!

 

というわけで新型肺炎について

新型肺炎についてはいろんな意見を見かけます。例えばAという立場に対して真逆のBという立場の意見も、目につけばなるべく読むようにはしています。

 

そのすべての意見を知っているわけではないのですが、ここ数日「少し疲れたな」と感じることが多いのです。

 

なぜなのかといえば、

問題はあなたが日頃どんな国を求めるかでは?

と思ってしまうから。

 

特にそれはチャーター機によって帰国した人たちが新型肺炎に罹患しているかどうかと、それにまつわる人々の態度に強く感じてしまいます。

 

ワタシは共産主義というか社会主義の国というのは、資本主義国ほど自由度は高くない分、災害に対しての対応は素早い方だと考えています。

 

これはチェルノブイリ原発事故時もそうでした。

 

ちょっぱや!チェルノブイリ原発事故時の対応

チェルノブイリ原発事故のケースでは事故後36hで強制避難が開始され、1週間後には事故を起こしたプラントから30 km以内の全ての人間が強制避難。半径350km圏内のホットスポットでの農業の無期限停止と住民の移転措置。そして避難民のための新しい街を作りました。

 

これは自由度の高い国では不可能な措置ではないでしょうか。

 

そして汚染地域の除染と石棺の建造のために多大な人員を投入しつつも、しかし早急に石棺は作られたわけです。事故が起きたのは1986年4月25日でしたが、石棺は同年6月に着工され11月に完成しています。事故処理の従事者の総数は約60〜80万人と言われていますが、この総数の揺らぎにも注目です。個人線量計を持っていなかったことなども詳しく書きたいところですが本題の新型肺炎の話題に再び戻りましょう。

 

紛糾するチャーター機問題

これを知っていれば「中国が10日で病院を作る」と表明したことをけっして嘲笑できないでしょう。そうしている人はTwitterで何人も見かけましたが。かの国は経済こそ自由化しましたが、政治的には未だそれが可能な国です。国力としてもね。

 

今朝、29日のチャーター機で帰国の3人に新型肺炎の感染が認められたと厚生省からの発表があったとの報道がなされました(NHK NEWS WEB 2020.01.30 09:18)

 

「問題はあなたが日頃どんな国を求めるかでは?」

 

ワタシ個人はこのチャーターについては割と行き当たりばったりの方策だったように思います。

 

帰国後は"一般の患者や外来受診者と離れた場所で改めて検査し、陰性と分かるまで自宅や千葉県勝浦市のホテルで待機してもらう。"とした点は評価できますが、"症状の無い2人が帰国後の検査に同意せず、検疫官が自宅に送り届け、今後も健康状態を確認することになった。"とも報道されています。(どちらも朝日新聞 2020.01.29 22:26)

 

大事なことなので改めて言いますが、帰国後の検査を拒否して帰宅した人が2人いました。あなたはこれをどう捉えますか?

 

ワタシ自身は搭乗前に帰国後の検査に不同意の場合は搭乗を拒否しても構わないと考えます。それくらいのことは現状でも充分可能だし、誰もそれを差別とは呼ばないと思います。

 

しかし例えば、問題の肺炎に発症しておらず、検査の結果問題がないのに何週間もある特定の場所に留め置かれたとします。こうしたケースを想定する人は1人や2人ではないようで「安易に隔離、というのも人権侵害」と仰る方もいました。

 

確かに過去に隔離政策によって長らく外界との接触を阻まれ、また親類縁者からも忌避されるような差別に遭われた方々が実在します。ある人は、武漢からの帰国者に対して「隔離しろ」との意見に感染症予防法の前文の存在価値をかみしめてる」とした上で「少しは過去から学べ」と怒りの混じったツイートを残しています。

 

いじわるな、でも充分あり得る問いかけ

少し思考実験をしてみましょう。あなたはどちらを選びますか?

 

  • 自由度は高いが災害時自助努力をより強く求められる国
  • 自由度は低いが災害時公助が強く働く国

 

現実には二元論とは行きませんが、しかし、思考実験ですからシンプルに二択にしてみました。どちらにもメリット・デメリットがあります。

 

前者では人権に配慮され隔離は可能な限り避けられるでしょう。その代わりにあなたが感染するリスクが上がるかもしれません。

 

後者では感染拡大を防ぐために対策は早期になされるでしょう。その代わりにもしもあなたが検査基準に引っかかった場合には、あなたが隔離されるかもしれません。

 

自分のことであればすんなりどちらかを選べる人もいるでしょうから、もう一つ判断材料を加えてみましょう。

 

あなたの大切な家族や友人が細菌性の心臓病にかかっており、近々緊急の手術を控えている。

 

もしもそんな状況だった場合に、あなたは考えを変えませんか?あるいはさきほどの質問への答えを出すまでに少し躊躇したりはしないでしょうか?

 

これは【犯罪の抑止】についても同様ですね。どちらにせよリスクはあるわけです。

 

民主主義は遅行性のおくすり

可能な限りいいとこ取りをするという方法が全くないわけではないとワタシは思いますが、それを行うにはあまりにもこの国の風通しは悪すぎると考えています。

 

たとえば先の

ワタシ自身は搭乗前に帰国後の検査に不同意の場合は搭乗を拒否しても構わないと考えます。それくらいのことは現状でも充分可能だし、誰もそれを差別とは呼ばないと思います。

は、可能な限り人権に配慮しつつ、同時にリスクを減らす方法の1つで、かつその中でも容易に実現可能なものだと思います。逆にいうと「それくらいは想定しましょうよ」と思うんですが…。

 

ところで、チャーター機については費用にも賛否両論集まりましたが、日頃多くの国民は政治に無関心なのに、こうした突発的イベントの時だけ局所的に関心を持っても遅すぎるんじゃないでしょうかね。

 

シビリアンコントロールはすぐには効かないんですから。

 

たとえば隔離を行うのだとしても「根拠法は?」と訊かれるのがオチです(実際そんなツイートも目にしました)。日頃から「こういう時にはこう対応すべし」というものを作り上げておかないといけないわけですよね。それこそ立法府で。またそれが充分に国民に周知され、支持を受けている必要もあるでしょう。

 

政府対応がアレコレと文句を垂れても日頃の行いの結果でしかないんですね。正しく民意を反映しているのが現状だと思います。この国は決められないコドモオトナたちの国なんじゃないのかなぁ。だってこのことを理解できない国民が有権者のおよそ半数を占めているのが我が国、日本ですもの。どないやねん、それ。

 

およそ半数。というのは総務省発表の「国政選挙における投票率の推移」を参考にしました。

"国政選挙の投票率は、平成29年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙では、53.68%、令和元年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙では48.80%となっています。"

 

https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/

 

ちょっと極端に思うかもですが、ワタシは投票に行かない人たちこそ、フリーライダーだと考えています。

 

税金さえ納めていれば上級国民かといえばそうではないわけです。国民の三大義務は、教育の義務(日本国憲法第26条)、勤労の義務(同第27条1項)、納税の義務(同第30条)ですが、自分自身のリテラシーを高めるための教育も義務付けられているとワタシは解釈しています。

 

それは日本国憲法前文の"そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。"や、第12条の"この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。"に現れていると考えているのです。

 

しかしそれでもなお、この国は今のところまだ自由です。投票に行かない自由すら保証されています。これが今後も続けられるかどうかはわかりません。とはいえ、今さら時代に逆行して社会主義国になることもできないと思いますが。なんせ初期投資ができるほどの国力がもはやありませんからね。今あるシステムで、今ある資源で、なんとかやりくりするしかないんですよね実際は。

 

いつか英雄が望まれれば転換することもあるかもしれませんし、それを狙ったのが小泉純一郎であり橋下徹だったのかもしれませんが。

 

「この国で革命と名の付く物が成功した試しがあったかなあ」

 

と、SP野望編のセリフにもあるように、日本は革命的群衆もヒーローも生まれない国だと思うのですよ。だって日本こそずっと米国より個人主義の国だから。

 

日本が今なお真の意味で独立した国家として扱われないのは、知日派に支配されてるとか、軍を持っていないからというよりは「なんとやらに刃物持たせらんねえな」という風に評価されてるからではないのでしょうか?

 

と思っていたりします。これは仮説としてね。

ただ非常に一貫性のない幼稚な国と捉えられてるのは間違いなさげです。この辺の話はまたいずれ。